おたがいの自己イメージに影響を与えあう私たち
- spicearts
- 3月6日
- 読了時間: 4分
生活を共にする人から受ける影響は大きい、と思いませんか?
相手の感情、気分の波、行動や思考の傾向など、おたがいにそれぞれが発するものを受け取りあって日々生活しています。
ついつい見落とされがちなことですが、「相手がじぶんをどのような人として見ているのか」ということも、しっかり受け取っています。
その受け取ったメッセージは、いつの間にか自己イメージへと染み込み、わたしがわたしをみる見方を形作っていきます。
例えば、パートナーから「信頼できる人」、「愛情深い人」として接せられたり、言葉をかけられたりしていると、「いやいや、それほどでも」とホグホグ言いながらも、そんな自分像が次第に作られていくという可能性が高くなります。
このように、おたがいが受け取ってうれしい言葉や態度をやりとりし合うことができたら、すばらしいパートナーシップのできあがりということになりそうなのですが、
どこの段階からか、いつの間にやらか、そうではないことをやり取りしてしまっている場合があります。
例えば、「信頼できない人」や「薄情な人」など、ほの暗いワードを言われ続けていたらどうなるでしょうか?
その言葉が相手の自己像を形作る、強力な後押しをしてしまうということも、、、ありえます。
わたしはさすがにそんなあからさまには、口にしないわよという品の良い方でも、
さげすんだ表情や、舌打ち、口角を下げる、触らないでと避ける仕草などもまた、相手の自己イメージにダンダンと刻まれていきます。
気づかないうちに「あなたが望まないパートナー像」を、あなた自身が増幅してしまっていた、なんていうこともありえます。
それではおたがいに楽しくないですよね。
生活を共にするパートナーというのは、たまに会う素晴らしい人よりも、はるかに私たちの人格や人生に影響を与え続けます。
おたがいにどのような目で見続けてきたのかということが、相手の作られ方の片棒を担いでいるということにもなりかねません。
そもそも、自分とパートナーは「ちがう考え方」、「ちがう感じ方」、「ちがう物事の捉え方」をしているちがう人間です。
このあたりまえのことを、長い間同じ家に住んで、同じものを食べて、同じ空気を吸っていると、
まったく同じとはいかなくても、なんとなく似通ってるはず、、、と考えがちな方が多いように感じます。
でもこれ、あまーーいんですね。インドのお菓子ミタイーくらいのあまさです。
わたしたち、遺伝的影響も、身体感覚も、ジェンダーも、ホルモンバランスも、健康状態も、経験も、知識も何もかもちがう人間なうえに、
だいたいの方は、親からの影響を色濃く吸収する乳幼児、幼少期から18歳ぐらい、人によっては30歳オーバーまで「実家」という閉鎖的で密度の濃い家庭内カルチャーの中で暮らし育っています。
その後おたがいが、それぞれの濃厚なカルチャーを背負ったまま、一緒に暮らしはじめます。
同じ日本人であったとしても、これはもはや、いちばん身近な異文化交流です。
だからこそ「普通そうしないんだけどな」や「なんでそんなこともわからないの」や「ありえないんだけど!」なんていうことも、
そう感じるのは当然のことです。だって、ちがう文化圏から来たもの同士なんですもの。
結婚して何十年経っても、この異文化理解はなかなか簡単ではありません。
おたがいに理解しようと力を尽くしていてもむずかしいのに、そんなことを考えたこともなければなおさらハードです。
このちがいによっておこる摩擦ですが、目を凝らしてよく観察すると、
じぶんが持っているじぶん独自の「考え方」や「感じ方」や「大切にしていること」があぶりだされてくることがあります。
「わたしって、こんなことを考えていたのね?(感じていたの?大切に思っていたの?)」ということです。
そう思うと摩擦は、なかなか貴重な「自己理解のためのヒント集」のように思えてきませんでしょうか?
ジョレビーなみにあまいかな。

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Atta粉でつくるチャパティ。
寒い日と家の中でこねて、丸めて、伸ばして焼く作業はあう。たっぷりのバターとメープルシロップをのっけてたべる。
spice+arts やましたのぶこ
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